捨てるべき「風土」と生かすべき「風土」~コンピューター研究者・石井裕~

2007年2月7日 水曜日 茂木 健一郎
 マサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボで最先端を行く石井裕さんに話をうかがって、日米の競争に対する考え方の違いを強烈に感じた。MIT では「誰もやったことがない」というのを評価する。そういう競争の風土からノーベル賞が63人も生まれてくるというのは、すごく日本の社会にとっては分かりやすいメッセージだ。

 これに対して日本では、先輩がやったことを改良するような研究が評価される。前例がある研究が許され、逆に人と違うことをやると批判する風土がある。さらに、論文を何本書いたといったようなことを数値化して評価する誤った成果主義がはびこっている。そういうことが、いかにバカらしいかということを、石井さんがちゃんと言ってくださったのが嬉しかった。

 石井さんの研究分野はITだが、今までこの分野で日本は第五世代コンピューターもひどい目に遭ったし、トロンのときもダメだった。インターネットでもそうだが、何回も日本は負けている。その理由はイノベーションが生まれる風土がないということにならないか。

 日本では学問の領域も「談合社会」だ。病の根は深い。

 レールが引かれ、分かりやすい目標ができると、皆一斉に取り組むことは得意だが、競争の新しいルールというか、土俵自体を作るたぐいの仕事は、日本からは本当に出にくい。その理由が、そもそも評価システムというか風土の違いである。今回の石井さんの話には、そのあたりが分かりやすく出ていた。

 新しいアイデアは思いつくだけではダメ、人に伝えて影響を与えることが大事だ。アメリカという文明の特質もあるが、ヨーロッパの人はあそこまではっきりとは表現しない。もう少し日本人と同じように、ナイーブな感じがある。今までアメリカがそういう方法を取ってきたのだが、これからインターネットで世界中が結ばれるグローバルな時代だから、人に考えを明確に伝えるという態度を、皆が身につけなければならない時期に来ている。

 石井さんが提唱するまったく新しいコンピューターインターフェースの「タンジブル」という概念は、日本の中の風土から生まれてきた。これが何を意味するかというと、我々がせっかく宝物をたくさん持っているのに、それを分かりやすい形で世界に出していないということだ。

 例えば今「北海道」はグローバルなブランドになっていて、それは外から探してもらわないと気づかなかった。そういうことはまだたくさんある。これをちゃんと表現することによって、まだまだ自分たちでも発見していけるし、世界の人に伝えていける。それにより日本のソフトパワーである「クールジャパン」のレベルが上がっていくのではないか。

メタファーは創造力の根幹

 欧米の人としゃべっているとメタファー(比ゆ)が創造性の根幹だと思っている。以前、創造性についての会議に行ったことがあるのですが、かなりの議論がメタファーを巡ってなされている。

 そういうコンセプトワークが日本人は弱い。石井さんも言われていたけど、ITの個々の要素技術は日本人は作り込むのは得意だが、それをビジョンにまとめて、あるコンセプトにしてメタファーとして出していくってことについては、ものすごく弱い。しかもそういうことをやる人を評価しない。

 それを評価するような社会になっていかないと、勝てない。またIT敗戦が起きる。アラン・ケイみたいな人は日本では評価されない。自分で全部プログラミングをやるわけではなくて、あるコンセプトを出して、ひとびとをリードしていくタイプだ。日本だとその人が地道にプログラミングやるといったことが評価されがちだ。

 石井さんがおっしゃるような、他の人と違うことをやるという競争の風土があれば気持ち良いではないか。僕は自分の周りにそういう風土を作りたいと思っている。何でもすぐにアメリカだ、イギリスだというのではなく、そういう意味で東京がアジアのセンターになるべきだと思う。

コメント

  1. 元々、NBonlineの記事ですが、
    日本にいる数年間で、自分も筆者と同じことを感じているので、ブログに転載いたしました。

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